
星と陽の間で 第7話
前回までのお話
映子のためにシンガポール出張の合間を縫って在星中の友人・美子と久々に再開した佳奈。
シンガポールでのリアルなヘルパーとの生活を聞き、未知の世界が開かれていく…
「せやけどやっぱり他人と生活するんやから、いろいろ問題はあるんやけどな」
「え、なに。なんかコワイんだけど」
「まあまあいろんな話聞くからさ。かわいいのやったら文房具盗られたとか、化粧水が地味に減ってるとか、子供のオヤツがコッソリ減ってるとか。
かわいくない、笑われへん話もいっぱいあるしな。
雇用主も人間やし、ヘルパーも人間やからある程度はしゃーないと思うねん。
ヘルパーとは育ってきた環境も生活基準もモラルも違うしな。
しかも他人、それも外国人と住むわけやから何にも問題ない方が珍しいんちゃうかな。
日本人は”他人と一緒に住む”っていう壁が大きいと思う。
シンガポールに帯同してきたオクサマたち、私がヘルパー雇ってるって言ったらまず間違いなく『ワタシ、他人と住むなんて無理…』って言わはるねん。
その割にはめっちゃヘルパーとの生活について聞いてくるんやけどな。
私も初めは『他人と住むなんて無理…』って思ってたけど、雇い始めたらなんでもっと早よ雇わんかったんやろ、って思うもんな。
実際雇ってみて”やっぱり他人と暮らすのは無理”っていう人もモチロンいてはるから、そこは個人差なんやとは思うけど、なんやろな、その『他人と住むなんて…』っていう言葉の裏に潜む『家事を外注するなんて』みたいなのをヒシヒシと感じる。
でもな、私は日本人はもっとヘルパー雇ってもいいと思うねん。
日本の女の人は頑張り過ぎやで。
もっとラクしたらええねん。ってかもっとラクするべきや、って。
お母さんやから自分の時間持ったらアカンとかいうアホみたいな思想に縛られんの辞めたらええねん。
みんな頑張ってるのに私だけラクするのは…とか、なんの我慢大会やねん。
でも、なんでか日本人と韓国人はそういう考え方の人多いように思うわ。
母として、妻として、嫁としてっていう立場に縛られてることが多い気がする。
私ら欧米人と話す機会も多いから、アジア人、特に日本人は時代に取り残されてる感はあるよね。
確かにそういう同調意識とか我慢が美徳とか日本人のええとこかもしれんけど、それとこれとはちゃうやろ。
母親が我慢してなんかええ事あるんやろか。
みんな早よ気ぃついたらええのに」
ワンオペで家事や育児を頑張っている妻やお母さんに、そんなに一人で頑張らなくてもいい方法があるんだよ、ということを伝えたい。
それで女性が一人でも幸せになるのなら。
その結果家庭が一つでも幸せになるのなら。
日本でのワンオペ育児と、シンガポールでヘルパーと協力しての家事育児。
両方を経験している美子は二つの視点から女性の幸せについて考えることが出来るのだろう。
だからこそ言えることがたくさんあるのだろう。
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