
壁 - 教師の私 駐妻の私 – 【第8話】
一人で体調不良と戦っている間にヘルパーについて様々な思いを巡らせていた奥野 貴美子。即戦力になるTransferではなく、あえて一から育てる必要のあるNewのヘルパーを雇用したいというのにはどんな理由があるのか。
「実はシンガポールに来る前は教師をしていたんです。育休中にシンガポール赴任が決まったんでそのまま退職して一緒に来たんですけど、夫は私が仕事をやめたせいでシンガポール生活を楽しんでいないように見えるって言ってて。そう言われたら私、あんまりこっちに来てから楽しいって思えることないな、って。
それもあって私が1から教えたいんです。前の雇用主の影響を受けていない状態で。
もしかしたらお手伝いさんを教えることで仕事を辞めてできた穴を埋められるかもしれないな、って。なので、できれば何も知らない若い子の方がいいです」
そうか。彼女もそうなんだ。
夫の海外赴任のタイミングで自分のキャリアを諦めなければならない女性が少なくないのは聞いていたが、彼女はその穴もヘルパーで埋めようとしているのか。悪くないアイデアかもしれないが、同時に大きなリスクも伴う気がする。
一つトラブルがあると全てがドミノ式に倒れていくのではないか。ただ、彼女自身一筋縄ではいかなさそうな性格なので、こちら側がどうこう言っても聞き入れてはもらえなさそうだが。
「そっか。じゃあヘルパー雇うことは決めたんやね。んじゃとりあえずエージェンシー行かないとね。でもその前にヘルパー来るまでの間どうするのか考えなアカンのちゃう?」
「こんな時、皆さんどうされてるのかご存知ですか?」
「そうね、なんだかんだ言ってお母さんに来てもらってたりするかな。日本から。やっぱり実母に勝る存在はないよね」
「母ですか…」
いつも父と行動を共にする母。父が家事をしているところを見たことがないので、母が父を置いてこちらに来るのは不可能だろう。
母が一人で飛行機に乗れるとも思わない。
孝志くんの方はうちとは逆でお父さんもお母さんもいい意味でお互いを干渉しない。頼めるとしたら義母、もしくは好奇心旺盛な私の妹…。
自分の妹でありながら何を考えているのかわからない私の妹…。
薬剤師の彼女は数年間時給の高い地方の薬局で働き、お金が貯まったら仕事を辞めて一人で色々な国を旅している。今はどこにいるんだろう。久しぶりに連絡を取ってみてもいいかもしれない。
「義母か妹に連絡をしてみます。もし両方ダメだった場合は美子さんにお願いすることになるかもしれませんが、それでもいいですか?」
「モチロン!いつでも頼って!映子ちゃんにも話しとくし。良かったらエージェンシーにもついていくし」
「ありがとうございます!その時はよろしくお願いします!」
美子さんの優しさに触れると今まで私が軽蔑していた駐妻という類の人たちへのイメージがどんどん崩れていく。
決して「他人のことなんて気にしない、期間限定の表面上の付き合いをしている人たち」ではなく、少なくとも私のまわりにいる駐妻と呼ばれる彼女たちは期間限定だからこそ強い絆で結ばれ、助け合おうという気持ちで繋がっている人たちだ。
海外生活を送る上で情報は何よりも重要である。
日本から出ると今までは煩わしいとさえ思っていたコミュニティでその情報を得ることが自分を守ってくれる防具になる。より早い段階でその防具を手に入れることが海外での生活を快適に送るためのツールなのではないか。
駐妻と呼ばれる人たちはより強力な防具を求めてカフェに出向いているんだ。決して退屈しのぎだけを目的に出かけているわけではない。
私にもその防具が必要なのではないか。
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